お笑い芸人がかしこになることが少し寂しい

東大や京大を出たインテリ芸人には、私は何も感じない。
高学歴はブスやデブや出っ歯というキャラクターの1つにすぎないからだ。
高学歴はビジネスシーンや行政シーンでこそ力を発揮するものであり、それをお笑いの舞台で使っても、なにも感じない。
仮に東大卒芸人が熱湯風呂に入ったところで、学費に使った紙幣をお湯に浸けたようでもったいないね、というだけである。
また、少し有名になった高学歴芸人がその履歴を使ってインテリセクションに入るのは、ドーピングのような気がしてならない。本来は本当のインテリがその席に座るはずだったのに、芸人をやっていましたという特異性だけそこにいる、それが高学歴芸人のビジネスモデルである。小賢しいという印象しか持てない。
高学歴芸人が訳知り顔でコメントは、見ていて気持ちのいいものではない。それならば、きちんとビジネスや行政で経験を積んだ人のコメントを聞きたい。
だから私は、ニュースはワールドビジネスサテライトしか見ない。

さて、きょうは高学歴芸人をディスろうと思ってブログを開いたのではない。
本題に入ろう。

ここで取り上げたいのは、松本人志と千原ジュニアである。
松本は高卒、ジュニアは中卒である。
この2人を「非エリートの中のセンスが光る人が芸能界という人間育成システムの中で急成長し賢くなった人」と定義して、検討を加えてみたい。

2人とも、元々はグロテスクな笑いを追い求めていた。センスは当初から光っていたが、ただその根本はひょうきん族から始まる、たけし、さんま、紳助の流れをくむ。
松本もジュニアも、お笑いの変革者ではあるが、お笑いの創造者ではない。

お笑いの創造という点では、たけし、さんま、タモリにかなわないが、ところがこの2人は、頭脳の素地がとてもよい。裕福な家庭に生まれていたら、普通に高学歴を得てエリートロードを歩んでいたろう。
彼らは格差社会の被害者である。彼らが機会平等社会に生まれていたら、国の中枢組織のリーダーになっていたのだから。

彼らがお笑いの道を目指したのは、底辺の社会で唯一、華やかでお金を稼げる道だったからではないか。
芸能界はマスコミととても近い。そのことを若かった彼らがどの程度意識していたかは不明だが、芸能界のメーンプレイヤーに登り詰めた彼らは、芸能界のご近所さんであるマスコミのインテリたちと触れていくなかで、知見を吸収していく。

いまや、松本の見解とジュニアの見立ては、どの事件に関しても見事である。知識に裏付けられた鋭い洞察と、少しの批判、ユニークに切り口、独特の毒。
彼らのコメントは聞くに堪える。彼らの論調は、正しくない場合ですら、物事のとらえ方の参考になる。

マスコミのエリートたちは、彼らを軽く見すぎて、彼らに知恵を与えすぎた。
ちなみにマスコミのエリートとは、なにも記者やプロデューサーやディレクターたちのことだけをいうのではない。
マスコミに取り上げられる学者や社長、スポーツ選手なども、ここではマスコミのエリートとみなす。

そのマスコミエリートたちは、自分たちの偉業を誰かに評価されたがっている。なぜなら、マスコミのエリートたちの偉業は地味なものが多いからだ。エリートであるという霞だけを食べて生きているので、たまに華やかな人に褒められると、とても喜んでしまう。

松本もジュニアも、マスコミのエリートたちのそのような弱みを知っているから、すごいマスコミエリートたちをきちんと持ち上げる。
そうするとマスコミエリートたちは、松本やジュニアに対し、お金と苦難をかけて獲得した知見を惜しみなく与えてしまう。

松本とジュニアのすごいところは、素直なところである。この2人は貪欲にマスコミエリートたちから学んでいった。

この2人ほど、日本国内の知に触れている人もいないだろう。
何しろマスコミエリートたちのほうから、自分の知見を松本とジュニアに見せたがっているのだから。
この2人はその分野の最高の家庭教師を何十人も雇っているようなものだ。

この点において、松本とジュニアの真似をしたがっているけどその域に達することができないと思われるのが、キングコングの西野とウーマンラッシュアワーの村本である。彼らはバカのふりをする期間が短く、少し売れた段階でインテリを目指す意向を表明してしまった。それではマスコミのエリートたちは警戒し、最悪、嫌悪する。マスコミのエリートたちは、西野や村本にはその知見を分け与えないだろう。
西野にも村本にも、グロテスクな笑いをやり続けマスコミのエリートたちを油断させながら知見だけを盗み取るという狡猾さがない。
西野も村本も謙虚さが足りないのが問題ではなく、戦略がないのだ。

さて、私は松本とジュニアのコメントをとても有意義に消費させてもらっている。
しかしそこに一抹の寂しさがないわけではない。
彼らのグロテスクな笑いが見られなくなったあ、たまに見ることができたとしても、自分より賢い人の馬鹿な姿ほどしらけるものはない。



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by cwhihyou | 2018-01-30 10:14 | Comments(0)