写経、日経記事2017.8.2

(moreで展開)
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「習近平党主席」根回し役の最側近に鋭い一撃
7月30日、中国のテレビは朝からこぞって内モンゴルでの人民解放軍設立90周年の軍事パレードを中継した。閲兵式では1万2千人の兵士が、迷彩色の戦闘服姿の共産党総書記(国家主席、64)の習近平に向かって「主席閣下」と叫ぶ。この形式は7月1日の香港返還20周年式典に先立って行われた6月30日の部隊閲兵式に続き2度目だ。
もはや鄧小平時代から続く「首長」(指揮官の意)ではない。それは開国の指導者、毛沢東にだけ与えられた「党主席」復活への闘いの烽火(のろし)だ。「大胆な軍再編という鄧小平に並ぶ功績をあげた」。こう宣伝する材料でもある。しかも今回の閲兵式への出席は、最高指導部7人中、習ただ1人である。軍が習個人に忠誠を誓う演出が透けて見えた。
今回の内モンゴル閲兵は1981年、中央軍事委員会主席として軍権を握った鄧小平の「華北大閲兵」も意識している。河北省張家口付近での大閲兵は76年の毛沢東の死後、「四人組」打倒を経て最高実力者になった証だった。
81年の映像を見ると、小さな体の鄧小平が似合わぬ軍服を身にまとい、四川なまりで演説している。兵士らの表情、動きも自然で、近年のようなテレビ映りを気にした大げさな演出はない。鄧小平は3年後の84年、北京でさらに大規模な建国35周年記念の軍事パレードをした。
この点も習近平は鄧小平をまねた。トップについて4年半。2015年秋、北京での「抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70年」の軍事パレードからわずか2年で2回目に踏み切った。鄧小平が指名した後のトップ、江沢民と胡錦濤はそれぞれ任期中に一度しか軍事パレードをできなかった。
■香港紙が一転、記事撤回
内モンゴルで習近平が「主席」と呼ばれていたころ、側近チームは迫り来る共産党大会の準備で大忙しだった。核は最側近の党中央弁公庁主任の栗戦書(67)だ。焦点は習の地位を党総書記から党主席(党中央委員会主席)に格上げするために必須となる共産党規約22条などの改正である。「党主席制」は文化大革命を引き起こした独裁への反省から、1982年に正式に廃止されている。
次期党大会で集団指導体制を事実上崩す大胆な提案にライバル勢力、うるさい長老らの同意をとれるか。根回しを担う栗戦書の役回りは非常に難しい。軌を一にしたように香港で事件が起きていた。
ザ・ペニンシュラの投資家はいかに習近平の右腕につながったのか――。香港英字紙、サウスチャイナ・モーニング・ポスト(SCMP)が栗戦書の親族の蓄財疑惑を報じたのだ。栗戦書の娘と同名の人物の住所が、歴史ある高級ホテル「ザ・ペニンシュラ」運営企業の大株主に躍り出た若き富豪と一致するとして、ふたりの関係と巨額資産を標的にしている。
これに先立ち別の香港メディアもほぼ同じ内容を報じていた。しかしSCMPの方は、報道内容が波紋を広げるやいなや記事を取り消し、読者への謝罪を表明した。同紙編集上の基準に合わないとの理由だった。
「記事撤回には党大会前の中国政治・経済に関わる複雑な事情がある」。中国、香港のメディア界の見方だ。香港紙はこれまで中国政治の舞台裏を様々な形で伝えてきた。とはいえ最近は中国側の締め付けでおとなしい。今回は近年まれに見る、とがった報道である。その情報源に憶測も広がる。
注視すべきは、SCMPの資本だ。同紙は1年半ほど前、中国の電子商取引最大手、アリババ集団に買収された。通販で巨大な顧客を持つアリババの馬雲(ジャック・マー、52)は浙江省の出身である。浙江省トップを経験した習近平と関係は良いとされる。
アリババは中国庶民の日常生活を担っている。共働きの主婦は昼休みにスマートフォンからキャッシュレスで日用品や食品を買い、帰宅すると宅配業者から夕食のおかずの材料が届いている。傘下企業によるトム・クルーズ主演の米映画「ミッション・インポッシブル」への出資など事業の幅も広がった。
今、中国政界では、上海に近い浙江省出身者が日の出の勢いだ。習近平の浙江省トップ時代の側近らは「浙江閥」と呼ばれる。失脚した孫政才(53)を次いで重慶トップに抜擢された陳敏爾(56)もその一人である。一方、経済人の浙江閥の核はアリババの馬雲だ。だがアリババ傘下のメディアが習の最側近、栗戦書に刃を向けたと判断されれば、今後のビジネスに響きかねない。
中国権力闘争に容赦はない。浙江省出身の大物経済人であっても安全ではないのだ。典型例がある。新興保険会社、安邦保険集団のトップ、呉小暉(50)は6月、突然「個人的理由で職務が履行できない」と声明を出して消えた。中国メディアは当局の調査で自由を奪われたとの見方を伝えた。元最高指導者、鄧小平の孫娘と結婚した呉小暉は、馬雲と同じ浙江省出身で立志伝中の人物だった。
■側近、栗戦書の最高指導部入りが焦点
香港英字新聞を巡る騒動からは、党大会人事の焦点が栗戦書(25人いる党政治清く委員の1人)の最高指導部入りである事実が透ける。「党主席制」復活で功績をあげれば一段の抜擢もありえる。
習と栗戦書の信頼関係は35年近く前に遡る。中央軍事委員会弁公室の秘書だった20代の習は地方勤務を希望し、北京の西にある河北省正定県に赴いた。歴史ある小古都は日本医もなじみ深い臨済宗の古刹、6世紀建立の臨済寺がある。隣の無極県には栗戦書がいた。習は正定県トップに就いたが若輩だけに行き詰まる。そこで最も近い栗戦書を兄貴分と慕い、いろいろと相談したという。
5年前に党大会前、栗戦書の名を知る人は少なかった。だが、いきなり中南海を仕切る党中央弁公庁トップに引き上げられた。生き馬の目を抜く中国政界で生き残るためには、寝首をかかれない絶対に信頼できる人物で周りを固めたい。要は栗戦書だ。習の外国訪問の際も常に寄り添う最側近である。
「習総(総書記の習を指す略した尊称)は何でも自分で決めたがる。細かい性格の表裏を熟知する栗戦書は、ささいなことでも最後はトップの裁断を求める」。党内事情に明るい人物の証言だ。長年の付き合いのなせる業である。日本でいえば官房長官役でもある中央弁公庁主任として適任だろう。
栗戦書は出しゃばらない地味な人物である。しかし「やる時にはやる」との評もある。前最高指導部メンバーで警察を仕切ったこわもての周永康を秘密裏に監視下に置いた際、栗戦書は傘下の中央警衛局の一団を率いて中南海の邸宅に直接、踏み込んだ。そんな武勇伝が伝えられている。
反腐敗の司令塔、王岐山(最高指導部メンバー、69)が習の「左大臣」なら、「右大臣」は栗戦書。王岐山が米国にいる郭文貴から波状攻撃を受けているように、栗戦書も標的になりやすい。習指導部の扇の要の権威をおとしめれば勢いが大きくそがれる。
■5年前の令計画事件の轍は踏まぬ
思い起こすのは5年前の大事件だ。前任の中央弁公庁主任、令計画(60)は前国家主席、胡錦濤の側近にもかかわらず失脚の道を歩み、最後は無期懲役に処された。高級車フェラーリ大破事故で息子が死んだ不祥事を隠蔽したという。胡錦濤一派は痛手を被り、最高指導部人事で一敗地にまみれる。
勝ったのは元国家主席、江沢民の一派だ。激しい闘いを間近で見た習は今、気を引き締めざるをえない。「絶対にあの轍は踏まない」と。令計画の運命は12年8月、河北省の保養地に指導者と長老らが集う「北戴河会議」で固まった。まさに今の季節だ。香港英字紙の栗戦書親族の疑惑報道は取り消されても既に中身は流布された。ライバル勢力が材料にする可能性は残る。
7月30日夜、国営テレビのメインニュースは習近平の閲兵式絡みで埋め尽くされた。首相の李克強(62)ら他の最高指導部メンバーは一切、出ない。一方、8月1日の軍設立記念日当日には、最高指導部メンバーら全幹部がそろう北京の式典で習は再び演説し、党中央の指揮に従う軍隊を訴えた。軍掌握をテコに「党主席」を目指して突っ走る習は、最後の関門を迎えている。
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by cwhihyou | 2017-08-02 12:06 | Comments(0)
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