大きな問題だけど小さい気がするのに大きく扱われる問題【慰安婦誤報問題】

慰安婦「謝罪の碑文」取り消し 偽証の吉田氏長男「耐えられない」
(産経新聞 2017/5/12)


朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した吉田清治氏(故人)の長男が、父親が韓国内に建てた「謝罪碑」の碑文の説明も虚偽だとして、関係者を通じて碑文を書き直していたことが11日、分かった。

(記事の続きはmoreに)

日本軍による「慰安婦問題」は大きな問題だが、朝日新聞による「慰安婦誤報問題」は大した話ではない。

大したことないと言ったら叱られるかもしれないが、それでも単なる誤報であり、朝日アルアルのでっかい版である。

しかし産経新聞は、朝日問題が大好きである。

でもまあ、産経の気持ちも分からなくもない。

彼らが持つ朝日コンプレックスは刺青のようなもの。

消そうにも消せないが、それで自尊心を守れているような気もするから消さなくてもいいかなーーそんな感じだろう。
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(続き)
長男は「父が発信し続けた虚偽によって日韓両国民が不必要な対立をすることにこれ以上、耐えられない」と説明している。長男は、ジャーナリスト、大高未貴氏の新著『父の謝罪碑を撤去します』(産経新聞出版、6月2日発売予定)で、経緯などについて詳細に語った。吉田氏の虚偽証言は、朝日新聞が1980~90年代初頭にかけて集中的に紙面で取り上げた。
また、同氏の著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』は、慰安婦を「性奴隷」と位置づけた96年の国連のクマラスワミ報告にも引用された。
謝罪碑は昭和58年、吉田氏が著書の印税で韓国・天安市の国立墓地「望郷の丘」に建立し、朝日新聞は2度にわたって記事を掲載した。
同年12月24日付朝刊では、吉田氏が碑の除幕式で「あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行されて…」と書かれた碑文を読み上げ、式典参加者らの前で土下座したことを記事と写真で伝えた。

大高氏の新著によると、長男は「父が私費を投じて建てた碑であれば、遺族の権限で撤去が可能だ」と考えた。
今年3月、長男から依頼を受けた元自衛官の男性が撤去を試みたが、コンクリートに埋まってできないため、碑の上に「慰霊碑 吉田雄兎(ゆうと) 日本国 福岡」と韓国語で書かれた別の碑を張り付けた。
「雄兎」は吉田氏の本名。碑文の変更は現地の施設管理者にも届けられた。

朝日は平成26年に吉田氏の関連記事18本を取り消した。

長男は大高氏に対し、「朝日新聞が間違いだったと発表したわけですから、それに沿って間違いは正さなければなりません。朝日新聞社は謝罪碑の間違いを正さないでしょうから、正すことができるのは私しかいません」と語った。

碑文を書き換えた元自衛官の男性には、5月初旬までに韓国の警察から3回電話があったという。



「強制連行」を広めた吉田清治とは何者なのか 「真実を書いても何の利益もない」
(産経2014.9.8)
そもそも吉田清治とは何者なのか。
韓国・済州島で奴隷狩りのように女性を強制連行したというその証言について、現地調査で虚偽だと暴いた現代史家の秦郁彦は、吉田氏を「職業的詐話師」と呼ぶ。
実際、証言内容が虚構に満ちているだけでなく、吉田の経歴もまた謎に包まれている。

吉田清治の名はペンネームで、本名は吉田雄兎(ゆうと)。他に別名として東司、栄司を名乗っている。
吉田の著書で山口県と記されている本籍地も、実は福岡県だった。
門司市立商業学校(当時)の卒業生名簿には「吉田雄兎」の名があるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。

吉田の著書の記述では昭和12年、満州国地籍整理局に務め、14年から中華航空上海支店に勤務したことになっている。
しかし、歴史学者の上杉千年の調査では中華航空社員会で吉田を記憶する者はいなかった。

吉田によれば、15年に朝鮮の民族主義者で日本の民間人を殺害した金九を輸送した罪で逮捕され懲役2年の刑を受けたという。
ただ、吉田は秦に対し、罪名はアヘン密輸にからむ「軍事物資横領罪」であることを告白している。

17年に山口県労務報国会下関支部動員部長に就いたとする吉田。済州島での慰安婦狩りも、著書で「(強制連行の)実態は私が家内にしゃべったか見せたかしたので、家内の日記の中にありました」と書くが、吉田が実際に妻と結婚したのは「慰安婦狩り」を行ったという時期の1年後のことだとされる。

著書には戦後の吉田の足跡は一切触れられていないが、秦によると22年に下関市議に共産党から出馬し落選。45年ごろには福岡県の日ソ協会役員に就いた。
これら吉田自身の虚構は秦や上杉、戦史研究家の板倉由明らの丹念な研究によって明らかになった。

強制連行の唯一の日本側証言とされてきた済州島での慰安婦狩りに関しては、地元紙「済州新聞」記者、許栄善が取材すると全くのデタラメだと判明した。
慰安婦問題で日本政府の責任を追及する立場の中央大教授、吉見義明も「吉田さんの回想は証言として使えない」と判断している。

朝日新聞が自社の吉田証言を取り上げた記事を取り消したのは今年8月のことだが、吉田自身はすでに平成8年の週刊新潮(5月2・9日合併号)のインタビューで「本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造(ねつぞう)を認めていた。

吉田は朝日新聞が昭和57年9月2日付朝刊(大阪本社版)で、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と大きく報じたことなどを皮切りに、新聞や雑誌、講演に登場するようになった。

サハリン残留韓国・朝鮮人の帰還訴訟を行った弁護士の高木健一の著書によると、吉田は57年9月30日と11月30日の2回、「強制連行の証言者」として出廷。「慰安婦狩りの実態」が法廷で披露されたことに対し、高木は「証言は歴史的にも非常に大きな意義がある」と評価している。
吉田は58年7月に『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を著し、58年12月に韓国・天安市の国立墓地に謝罪碑を建てるために訪韓。以降も現地で謝罪を繰り返した。平成12年7月に死去していたことが判明している。(敬称略)



慰安婦報道に関わった元朝日記者の植村氏、韓国の大学教授就任へ 北星学園大非常勤講師は本年度まで
(産経2015.11.26)
北星学園大(札幌市)の田村信一学長は26日、元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった非常勤講師、植村隆氏(57)の雇用を継続しないことを記者会見で明らかにした。
理由として植村氏が来年3月から、韓国カトリック大学校の招聘(しようへい)教授として1年間招かれ、受諾したことを挙げた。

植村氏は平成24年4月から非常勤講師を務め、これまで1年ごとに契約を更新してきた。
植村氏は平成3年に韓国の元慰安婦の証言を取り上げた朝日新聞の報道に関わった。
週刊誌記事などで「捏造(ねつぞう)」と批判され、大学に脅迫の電話や抗議文が届いた。
植村氏は記事などで人権侵害を受けているとし、出版社に損害賠償を求める訴訟などを起こしている。



朝日の若手記者もガックリ…慰安婦誤報・植村隆氏が訴訟会見で見せた“論理のすり替え”
(週刊新潮 2017年5月4・11ゴールデンウィーク特大号)
元朝日新聞記者の植村隆氏(57)が、ジャーナリストの櫻井よしこさんと、その記事を掲載した新潮社ら3社に対し損害賠償を請求した訴訟。
第1回の口頭弁論が4月22日に札幌地裁で開かれたが、この裁判の焦点は、植村氏が朝日在籍時代の1991年8月11日に書いた〈思い出すと今も涙〉という記事である。

慰安婦の支援団体から元慰安婦・金学順さんの証言テープを入手し、彼女が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」たと記したこの報道については、金さん自身の発言や訴訟に出た時の書面によって、養父によって慰安所に売られたとの実態が明らかになっている。
これを櫻井さんが「捏造」などと論評したことに対し、植村氏は「名誉毀損」とし、それが自らへの脅迫を煽ったと提訴したわけである。

■「軍関与」報道を導いた大きな存在
件の記事について、1989年から94年までソウル支局勤務だった元毎日新聞論説委員の下川正晴氏は、
“植村さんの記事が出る前に慰安婦の支援団体から取材協力を持ちかけられたが、日韓を揉めさせようとしているだけに見え、断った”
“植村さんは特ダネが取れるとの意識で記事を書いたのではないか。テープを聞いただけで記事を書いてしまったが、本当に慰安婦問題に関心があるのなら、もっとディープな取材をするはず”
と断じた。

これが「暇ネタ」ならまだしも、こと慰安婦問題となれば、結果は重大であると言わざるを得まい。
朝日の慰安婦報道について、「独立検証委員会」を作り、委員長として誤報の影響を調べた、京都大学の中西輝政名誉教授によれば、

「80年から2014年までの、NYタイムズなど米3紙の慰安婦に関する記事を探したところ、まとまった記事を出し始めたのは、1992年に朝日が『慰安婦に軍の関与があった』という記事を報じて以降でした。
植村さんの記事はその5カ月前。
80年代に加害者側から強制連行を証言した『吉田証言』に続き、被害者の立場からそれを裏付け、『軍関与』の報道を導いた大きな存在でした」

これによって、アメリカで慰安婦強制連行は事実として受け止められ、国際社会へと広がっていった。
植村氏が自らの被害者としての立場ばかり強調するのが、如何に都合の良い論理であるかがわかるであろう。

■朝日の若い記者もガックリ
植村氏は、閉廷後に行った会見でこう述べている。
「櫻井さんは(脅迫の)あおり行為をしている」
「『植村バッシング』は、私だけの問題ではない。リベラルなジャーナリズムに対する不当な攻撃である。未来の記者たちがいわれのない攻撃を受けないための戦いです」

しかし、前者について、早稲田大学名誉教授の重村智計氏が言う。
「言論の世界で生きているのであれば、言論には言論で答えれば良い。
もし脅迫を受けたのであれば、警察や司法に対応を求めるべきであって、公権力で相手の主張を封じ込めようとするのは、ジャーナリストとしての役割をわかっていないと言わざるをえません」

そもそも、植村氏は訴訟提起から1年余り、ニューヨークや韓国なども含めて講演活動に出ずっぱり。
とても脅迫に萎縮しているお方とは見えないのである。
後者についても、元朝日新聞ソウル特派員の前川惠司氏が言う。
「古巣から漏れ聞いたところによると、朝日の心ある若い記者は、植村さんが表でこのような主張をする度にガックリきているそうです。
間違いをおかしたのであれば、反省する。これは子どもでもわかること。
若い記者が植村さんの態度を真似て、間違っても開き直ればいいんだ、と思ってしまったら、それこそジャーナリズムの自滅です」
彼がそのために戦っているという「未来の記者」からはソッポを向かれてしまいそうということだ。これではまるでピエロである。

■論理のすり替え
その道化師、もとい植村氏は、
「私が『捏造記者』でないことを、法廷でも、証明していきたいと思っています」とのみコメント。
しかし、前出の重村氏は喝破する。
「植村君の取材が甘かった、というのがこの問題の本質なのです。
そんなごく単純な問題を、櫻井さんなどの保守の論客から非難されたことで、“正しいことを言っているのに、右派にとっては、都合が悪いから攻撃されている”と、左対右の構図にしてしまった。
要は、問題の本質を認識することなく、論理をすり替えているだけなのです」

「特集 100人の弁護士を従えて法廷闘争! 慰安婦誤報に反省なし! 元朝日『植村隆』記者の被害者意識ギラギラ」より



朝日新聞の慰安婦報道問題
(Wikipedia)
経緯:吉田清治と朝日新聞[編集]
1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称[1]する吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、軍令で済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した。
吉田は1982年に高木健一弁護士が主導した在樺コリアン訴訟でも済州島での朝鮮人奴隷狩りを証言したが、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった[2]。

朝日新聞は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。

さらに吉田は1983年7月に済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版[3]。同1983年12月に天安市に私費で謝罪碑をたてるために訪韓し、土下座した[4]。

1983年11月10日朝日新聞朝刊3面「ひと」欄で吉田の謝罪碑活動を紹介した。歴史家の家永三郎も吉田の著作を賞賛した[5][6]。

1989年に吉田の著書が韓国で翻訳されると、済州島の済州新聞は1989年8月14日に許栄善記者による記事を掲載、そこで済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」と批判した[7][8]。

また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、数年の追跡調査で吉田証言が事実ではないことが判明したとし、吉田の本は「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と批判した[9][3]。

1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言した[10]ことが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成、海部首相へ公開書簡をおくった[11]。
なお秦郁彦は、吉田証言が挺対協の起爆力となったとしている[12]。

また元慰安婦の金福善は吉田証言をきっかけに名乗り出たと証言している[13][14]。
その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、日本の弁護士らの呼びかけで[要出典]、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦訴訟(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件、釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟、在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件など)が多数行われた。

1992年3月に歴史家の秦郁彦が済州島で現地調査を行い、城山浦の老人が「男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかった」という証言を得たり、済州新聞の許栄善記事を発見し、吉田証言には根拠がないことを産経新聞1992年4月30日、『正論』1992年6月号に発表した[15]。
その後、1996年に吉田は「本に真実を書いても何の利益もない」と事実と創作を混ぜて書いたと述べた[16][17][18]。
朝日新聞は1997年3月31日に吉田の「著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載した[19]が、訂正記事は出さなかった[20]。

李栄薫ソウル大学教授によれば吉田証言は今日の韓国人の集団的記憶形成に決定的に寄与した。
1992年7月31日の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書でも吉田の著書を証拠として採用し、その後も修正していない[18]。
また1996年の国連のクマラスワミ報告でも吉田証言は証拠として採用されている[21]。
2012年9月5日にも朝鮮日報は吉田の手記を取り上げ「この本一冊だけでも日帝の慰安婦強制連行が立証されるのに十分」と主張した[22]。


朝日新聞による慰安婦報道の取消 (2014)[編集]
2014年8月5日、朝日新聞は慰安婦問題に関する「慰安婦問題を考える」・「読者の疑問に答えます」と題した検証記事(16-17面)を掲載した。

吉田証言記事の取消[編集]
朝日新聞は吉田の証言を虚偽と認定し記事を撤回した[39]。
朝日新聞によれば、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載から確認できただけで16回掲載したとし、1992年4月30日、産経新聞朝刊の秦の吉田証言への疑問との指摘や、1997年3月31日の特集記事のため虚偽との指摘や報道があるとして取材面会を申し込むが吉田から拒否され、吉田は「体験をそのまま書いた」と電話で答えた。

その後朝日新聞として吉田のことは取り上げていないとしている。
このほか、2012年11月自民党安倍晋三総裁の日本記者クラブ主催の党首討論会での朝日新聞の誤報による詐欺師のような吉田の本がまるで事実のように伝わり問題が大きくなったとの安倍の指摘までなどを順次経過を追って記述し、「2014年4月から5月にかけて済州島内で70代後半から90代の計約40人から話を聞いたが強制連行したという吉田の記述を裏付ける証言は得られなかったとして『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』とした」。
また「読者のみなさまへ」として「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした。」としている[40][41][42][43]。

なお、吉田の長男によれば、妻は日記(西部軍の動員命令を記してあると吉田氏が主張した)をつけていなかったという。
また1993年5月に吉見義明中央大教授と会った際「強制連行の日時や場所を変えた場合もある」と述べた[39]。

女子挺身隊と慰安婦の混同について[編集]
また同日記事で女子挺身隊と慰安婦を混同して報道していたことを当時の研究不足のためと説明した。


謝罪会見[編集]
2014年9月11日、朝日新聞社社長・木村伊量や取締役編集担当(いずれも当時)らが過去の記事の訂正に関して謝罪会見を行った。
同年5月20日記事の吉田調書に関して作業員が命令に違反して撤退と報じた事は誤報であったと訂正し会見で謝罪した。
また同年8月5日慰安婦に関する吉田証言を虚偽と訂正を報じた後、謝罪会見がないと指摘があったが、この会見で付随して謝罪した[44]。
また2日後13日付け社説や1面コラムでも謝罪した[45]。

2014年9月29日、朝日新聞朝刊は、1982年9月2日大阪本社版朝刊社会面の吉田の記事初掲載以降16回掲載され、初回掲載の元記者は吉田の講演を聞き記事にしたとされたが、その元記者の渡航履歴では講演の日には日本に居らず、その元記者は初回を書いのは記憶違いで書いていなかった、しかしその後数回書いたと明らかにし、別の元記者が吉田の記事を1回だけ書き、初回掲載は自分かもしれないと名乗り出たと、32年前の記事記載元記者に関する訂正を行った[46][47]。


検証[編集]
第三者委員会による検証[編集]
朝日新聞が一連の自社報道の問題検証のため発足させ検証を行っていた「第三者委員会」でも「日本軍が集団的、暴力的に女性を拉致した」とのイメージを定着させた証拠は決定的ではないとしつつも、「韓国における慰安婦問題の過激な言説を、朝日新聞やその他の日本メディアがエンドース(裏書き)し、韓国での批判を過激化させた」と指摘した[70]。「第三者委員会」の報告については自己弁護に過ぎるという指摘もみられる中で、内外のメディアはその報告を受けて次のような見出しで報じている。
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Commented by Aより at 2017-05-13 15:22 x
抽象的で何が言いたいのかわからない。
文章は上手でも、思想がない。
by cwhihyou | 2017-05-12 10:29 | Comments(1)
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