これががん告白ビジネスじゃないわけがない。

死人すら「無視されて死ぬよりはよかった」と思っているのではないかと思えてしまう。

(不愉快な数字はmoreに隠す)
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# by cwhihyou | 2017-06-26 15:30 | Comments(0)

写経、2017/6/26

(moreへ)
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# by cwhihyou | 2017-06-26 08:25 | Comments(0)

ニュースサイト「エキサイトニュース」の2017年6月25日のトップ画面に、「『まるでブレーキの壊れたダンプカー』市川海老蔵の下半身が通り過ぎた女たち」という記事が載っていた。

(真相はmoreに)
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# by cwhihyou | 2017-06-25 15:44 | Comments(0)

「がんの告知は当たり前」の時代はとうに過ぎて、いまでは告知をしなかったら医者が訴えられかねない勢いである。

20年前のがん告知の状況を知っている身としては、「当時の風習はなんだったのか」とあきれる一方で、現代の風潮にもついていけない。

(相変わらず不愉快なことを書くので続きはmoreに)


小林麻央さん死去 乳がんで闘病

歌舞伎俳優、市川海老蔵さんの妻で、乳がんの治療を続けていることを公表していたフリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなりました。34歳でした。



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# by cwhihyou | 2017-06-25 15:23 | Comments(0)

*この記事の初出は2017年 1月04日である。 視聴率が高いので再掲する。
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元フジテレビアナウンサーの逸見政孝氏が記者会見を開き、がんにかかっていることを告白したのは、1993年のことだったそう。

ウィキペディアにそう書いてあった。

会見での発言は以下の通り。

「こういう形での記者会見は賛否あると思いますが、私が入院してから事務所を通じてのコメントを出しますと、真意が伝わらなかったり、あるいは誤解を生じてもいけませんので、私の口から伝えることによって、皆さんに集まって頂きました。

最初に皆さんにお詫びをしなければいけないのですが、今年(1993年)の1月から2月にかけて私が入院いたしまして、手術そして退院した時にやはり集まって頂きました。

その時に私が発表した病名は大変申しわけなかったのですが、嘘の病名を発表致しました(中略)

本当のことを申し上げます。私が今、侵されている病気の名前、病名はがんです」


がんという病気には、私は特別な思いがある。

それは、がんって、なんでこんなに特別な感じでフィーチャーされるのか、という疑問である。

「私は糖尿病です」という告白と、「私は肺がんです」という告白では、当然のことながら後者の方が重いと考えられている。

しかし、私には、糖尿病が悪化して人工透析を受けながら失明して足を切断されることの恐さの量は、がんのそれとあまり変わらない。

そして、糖尿病もがんも生活習慣病なので、生活習慣を改善すればリスクをある程度回避できるし、さらに糖尿病とがんは、生活習慣を改善したからって完全に逃げられない点でも同じである。

がん治療は副作用の恐さが言われるが、脳梗塞の後遺症のリハビリとその後の不便な生活も相当恐い。

さらに、がんには転移があるが、糖尿病と脳梗塞だって親戚みたいなもので、さらに心筋梗塞だって親戚なので、これまた恐さは同じである。

がんへの特別な思いはまだある。

がん患者に向ける私の感情が、がん患者の立ち位置によって異なることだ。

ほとんど面識のない人のがんと、胃がんで死んだ父の胃がんと、著名人のがんは、私にはほとんど別物に感じられる。

ほとんど面識のない人ががんを発症したとか、がんで亡くなったとか聞くと、とても気の毒に思う。

しかし、胃がんで死んだ父親については、もろもろ家庭の事情を勘案すると、良い死に方だったのではないかと思っている。

そして著名人のがんについては、なぜ発表するのだろうかという疑問がいつも残る。

同じがんで闘病している人へのエールもあるだろう。

また、突然テレビや雑誌から姿を消すことになるので、その理由をきちんと説明したいという気持ちもあるかもしれない。

しかし、がんの告白をした著名人が、後にそのがんが原因で亡くなったとき、私はものすごく嫌な気持ちになる。

どうしても「もしいま、自分がその人と同じがんを持っていたら」と想像してしまうからだ。

著名人のがんの告白から死に至るまでの報道内容について、「自分もまったく同じ道を歩むのか」と思うのだろうと思ったら、とても嫌な気持ちになるのだ。

Moreに「市川海老蔵 小林麻央の密着番組の放送を心待ち『私も内容を知らない』」(デイリースポーツ 2016/1/4)という記事を転記した。

この記事を読んだときも「もしいま、うちの妻が小林氏と同じがんを持っていたら」と想像してみた。

そして、とても嫌な気持ちになった。

妻の闘病生活をテレビ番組で流すことを許可した夫が、その妻を温かく見守る内容が、テレビ番組的に成功すればするほど、複雑な気持ちになるだろうという予感がして、嫌な気持ちになった。

「私が知っている闘病生活」と「コマーシャルを流して大金が動く民放テレビ番組」があまりにかけ離れているので、混乱してやはり嫌な気持ちになった。

そして、「小林氏と同じがんを発症した妻を抱えた私」(架空)がこの番組を見て、その後、小林氏が亡くなり、だがそのときまだ「私のがんの妻」(架空)が生きていたとしたら、その「がん患者の夫の私」(架空)は、とてもつらい思いをするだろう、と想像するとさらに嫌な気持ちになった。

だから私はきっと、その密着番組を見ないだろう。

しかし「密着番組を放映した」ことを知った私は、将来起こりうる小林氏の訃報を、普通の訃報のようには聞き流せないようなが気がする。

そして、「まだ元気にしている人のがん死を想像してそれを文章化するなんてどうかしている」と思われたとしても、そのように想像せずにもいられないのも、やっぱり嫌だ。

こういうのって、ものすごくグロテスクな感じがして、嫌だ。






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「フィーチャー」の使い方、これであってる?




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# by cwhihyou | 2017-06-25 14:56 | Comments(0)
クラウドワークスを使ってライターの仕事をやっています